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       鈴木マサホひとくち日記 
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2011年3月

                 


選挙本番直前 3月29日ー31日

大地震と津波による被災者の皆さんに心よりお見舞い申し上げますとともに、また亡くなった多くのみなさんのご冥福を心よりお祈りし、一日も早い復興を祈念します。

なお4月1日に京都の府市会議員選挙が告示され、選挙中のホームページや「ひとくち日記」は更新できません。残念です。

 全力で7期目の挑戦に向けてがんばります。桜満開の頃、投票日は4月10日です。 個人演説会場・日時などは、
 鈴木マサホ選挙事務所(銀閣寺前交差点西入る200メートル北側
 電話712-5155)にお問い合わせ下さい。  


◎3月31日(木)

 いよいよ明日から7期目の挑戦に向けての選挙本番。

 朝、吉田神社で必勝祈願。カミサンと柿阪正夫わが後援会長と玉串を奉天。自然体で臨むべしという祝詞をあげていただく。ぼくらの後に、安孫子和子さんも後援会のメンバーと必勝祈願に来られていた。

 諸般の打ち合わせをした後、いざ貴船、静原、大原へ。主だった人たちに挨拶回り。そして明日の本番出陣式や公営掲示板のポスター貼りなどの打ち合わせ。

 さて、大地震と原発事故のことが、選挙戦にどのように影響するのか、街に出てみないと分からないなあ。市民の目線がどうなのか、暗中模索するなかでの選挙になりそう。辻立ちを中心にして、連呼をすることなく粛々と街頭にでる。

 されど前回の38票差で次点になった悔しさをバネに、この4年間、とりわけこの1年間の市政懇談会の開催など活動してきた成果を実らせたい。定数は9人、候補者は、12人。なんとしても勝つぞ!



◎3月30日(水)

 朝、銀閣寺前で街頭演説。ちょっと手がかじかむ寒さだが、暖かくなってきた。哲学の道の桜ももうすぐ咲くのかな。季節はうつっている。

 10時から吉田幼稚園の評議員会。吉田幼稚園は送迎バスもあり、自然の中の幼稚園ということで最近評判が良くてこの少子化時代に園児は多い。園長先生から報告など。

 その後、挨拶回りや選挙の準備で諸々の打ち合わせ。門川市長、栄養ドリンクを持って陣中見舞いに来てくれる。感謝。

 また夕方は、吉田神社の役員総代会。会計報告や予算案などの報告。早々に退席して夕方は、選対会議。個人演説会場の確定や街頭行動の日程など。さて、どんな街頭行動ができるのか、粛々と静かにやるしかないかな。


◎3月29日(火)

 午前中、新しい選挙用の車に看板が取り付けられる。

 午後、わが地元の吉田の西部を議員レポートを持って小学校時代の友人と挨拶回り。

 そして午後7時から、わがホームグランド、吉田神社参集殿で市政懇談会。
 冒頭に黙祷して開会。太田副知事がスペシャルゲストで激励に来ていただける。京都府の被災地救援の取組みについての報告と府市協調について語っていただく。島内研くんもゲストでトーク。

 そしてぼくが吉田神社のこと、原発のこと、地域の防災の取組みのことなど30分ほど話す。わが地元吉田の友人らが多く来ていただき会場はほぼ満員の80人。

 昨年3月に日吉神社、4月に上高野防災会館、5月に静原野外懇談会と田中神社、6月に吉田自治会館、8月はウエスティン都ホテル、9月はグランドプリンスホテル、10月は平安の森、11月は市原野会館、12月はアピカルイン、1月は「みやこめっせ」2月はホリデーインと上高野の京都ファンジェイ、そして3月26日は熊野神社と多くの友人たちに支えてもらいながらビラを撒き、精力的に市政懇談会を開催してきた。今期最後の吉田神社での懇談会も無事に終わって、いよいよ本番。この1年の成果を結果に結び付けたいなあ。


選挙モード盛り上がらず 3月22日ー28日   
◎3月28日(月)

 朝、百万遍で街頭行動。暖かくなって朝の空気が気持ちいい。防災対策を中心に抑え気味に演説。選挙モードにはならないなあ。

 昼前から、わが地元の地元、生まれ育ち、わが家や事務所のある吉田の下大路や中大路を中心に、挨拶がてら、明日の市政懇談会の案内をもって、夜の帳が下りるまでウロウロ。暗くなると表札も見えないし、郵便ポストを探すのも一苦労です。道すがら出合う近所の人からがんばってよ、と声をかけられると元気が出るよ。


◎3月27日(日)

 昼前から北白川、一乗寺や修学院を黙々と挨拶回り。高校時代の同級生や久しぶりに出会う人も。

 夕方、わが事務所の選挙対策会議。個人演説会場や街頭行動計画やウグイス嬢のことなど方針を決める。
 今週の金曜日が告示。そして2週間後の日曜日が投票日。それにしても街には宣伝カーも走り回っていないし、静かだ。自粛ムードの中でどう選挙戦を進めるのか、悩むよ。各陣営もさぞ困っていることだろう。

 その後、松ヶ崎の立正会館で島内研と語る会にゲスト参加。いつものように大学院の後輩であることをアピール。島内君は、松ヶ崎を地元として消防団活動など地域に溶け込み始めているが、地元ゆえ、いささか緊張気味。関西広域連合や防災対策について語った。


◎3月26日(土)

 昼前から挨拶回り。午後、社団法人京都鴨沂会の評議員会。新年度の事業計画として教養講座のことを報告して直ぐに退席。

 北岡ちはる府会議員の事務所開きに行って暫し懇談。舞鶴市の選挙に出馬した青年も来ていた。

 夕方7時からは、聖護院は熊野神社で鈴木マサホ市政懇談会。昨年春、日吉神社で初めてこれで何回目かな。寒い日にも関わらず、聖護院界隈の人たちが多く参加いただいて会場はほぼ満員。ぼくは原発のこと、防災対策のことなど話す。地下鉄のことや水道停止のこと、京都会館再整備のことなど質問あり。終了後、川端二条の頂妙寺での島内研と語る会に馳せ参じたがすでに終わっていた。


◎3月25日(金)

 選挙告示まであと1週間。朝7時前起床、久しぶりに熊野神社交差点で朝の街頭行動。3月11日の大地震以来初めて街頭に立つ。弔意とお見舞いの言葉から始まって防災対策や原発のことを中心に淡々と30分ほど演説をする。あまり大きな声で喋る訳にも行かず、手探り状態かな。

 10時過ぎから友人の四駆の車で、雪が心配だったけれど、いざ峠以北へ出発。大原は小出石から百井へ。百井では、ビラを配り地元の人たちと暫し懇談し百井キャンプ場から、名ばかりの国道(酷道)477号の木立を通って花背峠を越える。雪害で杉がなぎ倒されている光景が悲しい。花背では友人宅など訪問してビラ配り。昼食は、「山村都市交流の森」の翠峰荘で美味しい地鶏鍋で遅い昼食。そして広河原へ。霰が舞う。寒いし畑には50センチほどの残雪があり、3月末だというのに冬景色。8年前の選挙のときも3月に雪の中、挨拶回りをしたのを思い出した。左京最北の喫茶店「庄兵衛」に立ち寄るも閉店。残念でした。昨年秋に貼ったポスターを剥がしながら、帰途に着く。おっさん3人の珍道中でした。


◎3月24日(木)

10時過ぎから今日も市原や聖護院など粛々とあいさつ回りの行脚。

 夕方、自治労京都市交響楽団音楽家労働組合の委員長、トロンボーン奏者、間憲司さんの退職祝いの会。結成されて20年か。京都市交響楽団は文化首都・京都の誇りだ。ご苦労さんでした。現在大阪府島本町議の初代委員長の藤原靖彦さんら楽団員のみなさんと久しぶりに会う。その後、相談ごと一件。

 福島原発では復旧工事に当たっていた3人の作業員が被爆して病院に搬送されたニュースやペットボトルが店頭から消えたとのこと。テレビ番組はほぼ平常の番組になって、タレントが笑いを振りまいている。


◎3月23日(水)

 朝10時から地元でわが母校、第四錦林小学校の第80回目の卒業式。全員で黙祷して開式。「如意を登りて朝日影」の校歌を久しぶりに歌う。児童60人が卒業。ぼくが卒業したのはちょうど50年前かな。この6月には創立80周年の式典が開催される。卒業生のみなさん、ぜひご出席下さい。

 午後から、推薦葉書の依頼で挨拶回り。とある工務店では、震災の影響で材料が入ってこないとのこと。色々な影響が京都でも出始めた。久しぶりに「ひげ床」で整髪。体もほぐしてもらって久しぶりにリラックスできた。夜は、今期最後の市政懇談会お知らせなどのメールニュースの発送準備。


◎3月22日(火)

 粛々と挨拶回り。昼食をとある食堂でしようとしたらわがポンコツ宣伝カーの看板が屋根に当たって瓦が落ちるというハプニング。色んなことが起こります。瓦屋さんに修理をしてもらうことに。

午後、本番ポスターができてくる。また地震発生を受けて、地震被災者へのお見舞い文を書き加え、修正した選挙公報案が完成。最後の校正をする。

 福島原発から流出した放射性物質のヨウ素とセシウムが茨城、栃木などで検出されたとのこと。乳児などへの制限がされることに。またプロ野球の開幕日を巡ってスッタモンダ。セリーグの球団経営者たちは何を考えているのや。
 リビアでは内戦状態。また多国籍軍が爆撃している。


粛々と挨拶回り 3月16日ー21日
◎3月21日(月)

 春分の日。昼前から選挙中に出せる推薦葉書を持参して支持者宅を挨拶回り。

 午後2時には吉田神社第一鳥居前にある祖霊社にて大元講社の春の大祭。吉田神葬墓地に先祖が祀られている人たちが参列。地震の被災者へ弔意を捧げ、また必勝祈願を心の中でする。
 
 その後、また粛々と挨拶回りの行脚。

 そして夕方は、市原野は恵光寺の住職夫人、岸野芳子さんの通夜。檀家や地域のみなさんなど多くの方がご焼香されていた。享年62歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
 その後、2ヶ月に一回行われている吉田神社参道前のイタリア料理店「チェルキオ」でのサロン。第四錦林小学校を退職される中島校長らをゲストに。
 
 原発の冷却をするための決死の放水が行われているが、福島や茨城のほうれん草など出荷停止。


◎3月20日(日)

 日曜日の大安とかで、2区総支部の面々の事務所開き。まずは、東山区の中野洋一君。安井金毘羅宮の前の事務所。また山科では日ノ岡で豊田貴志府会議員の事務所開きに行く。
 直ぐに岸本良子さんの告別式に。民生委員の歌が流れる中、ご出棺を見送る。心よりご冥福をお祈りいたします。

 それからまた山科に戻って鏡山学区での新人市会候補の松下しんぞう君の事務所開き。親父さんの勇さんが、鴨沂高校の大先輩。それから外環三条下がるは、現職の藤川剛君の事務所開き。自治労のメンバーが多数。いずれも地震の被災者への弔意とお見舞いを言っての質素な集会。

 夕方はわが選対会議。多忙な中、前原議員が激励に来てくれるも、冒頭にお詫びの言葉。辛いね。されど本番中にも来てほしいな。街頭行動の自粛をしつつ、挨拶周りに精を出すことに。投票日まで3週間だというのに、どこの陣営もそうだと思うが選挙モードにはならないのが辛い。街には宣伝カーも走らず静かなもの。投票率が下がるやろな。
 福島原発、放射性物質が拡散し始めて非難する住民が多いというニュース。憂慮していたことが現実になってきた。


◎3月19日(土)

 午前中、経糸の会の鶴山さんと一緒に松ヶ崎界隈の彼の知人宅を挨拶回り。親しい人には推薦葉書の依頼も。

 午後は、京都鴨沂会の理事会で教養講座の企画のことを報告して、すぐに下鴨神社での府会候補、島内研君の会に。本番を控えて前原後援会のメンバーらも多く参加して100人ほど。ぼくと府会の中小路健吾議員がゲスト。

 ぼくは同志社総合政策科学研究科の1期生。中小路君は2期生。島内君は11期生かな?閑話休題。民主党の国会議員の田島一成、吉川さおりさんも総合政策科学研究科修了生。総政会のみんながんばろう!

 午後4時ごろ、とあるところで民主党2区総支部常任幹事会を開催。外務大臣を辞任した前原議員と久しぶりの顔合わせ。地震対策で民主党の代表経験者が官邸に呼ばれた後、帰京とのこと。心なしか元気がないかな。辞任については、無念で忸怩たる思いがある。お詫びとこの間の経過を聞く。捲土重来を期してほしいと激励。
 で、われわれの選挙に対してどう応援してもらえるのか、色々と相談。

 夕方、吉田の岸本良子さんのお通夜。民生委員もされていた近所のお友達など多数の参列者。享年62歳。ご子息がぼくの愚息と幼稚園で一緒だった。


◎3月18日(金)

 予定していた週末の朝の街頭演説は中止。福島原発の事故の対応をラジオのニュースを聞きながら、岩倉、上高野をあいさつ回り。運転してくれるのは小学校時代からの友人。感謝。

 福島原発の放射性物質の拡散が人一倍気になる。というのは、親父が学徒動員で広島にいるとき被爆して原爆手帳をもっているので、ぼくの青春時代は、被爆2世として、白血病で早死にするのではないかと、思っていた。親父は92歳になるが元気。そしてぼくも加齢を重ねて、ここまで生きられて62歳になったが、放射能の被爆のことは、いつも気になる。作業に当たっている関係者は大丈夫なのだろうか?そして農産物や水は大丈夫なのか。


◎3月17日(木)

 朝、吉田神社の五穀豊穣を祈願する祈年祭。澤井宮司さんは地震で亡くなった人々への慰霊の言葉と被災者へのお見舞いの祝詞を上げられる。

 午後は、千本中立売のフリースクール「恒河沙」にて保護者の皆さんとの塚崎直樹先生との懇談会によばれる。主宰者の福島美枝子さんとは長年の友人。引きこもりの青年たちを対象にしたフリースクール。自民党の田坂府会議員も参加。彼と福島さんは長崎での高校の先輩後輩だとか。障害者自立支援法によってこの青年たちの居場所をどう運営するかが今後の課題。

 その後、挨拶回り。夕方、選挙公報の草案ができてくるが、地震のことをどう書くか悩む。


◎3月16日(水)

 2月市会定例会が足早に終わって、いつもなら、さあ選挙だ、といういうところだが、東日本大震災と福島原発の危機的な状況下で、選挙準備で何をどうすればいいのか、悩む。

 街頭演説やテープによる宣伝カーの街頭行動や義援金集めの行動も控えることにした。粛々と議員レポートと推薦葉書を書いていただくよう挨拶回りをしようということになって、岩倉界隈を友人の車の運転で支持者宅を訪問。雪が舞う寒い1日。手がかじかむ。

 夜は、上高野は崇道会館での島内研と語る会にゲスト参加。同志社の総合政策科学研究科の後輩であることや原発の防災のことなど話す。市会終わる。


東日本大震災甚大な被害 3月12日ー15日
◎3月15日(火)

 朝、9時30分から市役所前広場で、仙台市の要請によって京都市から災害救助の派遣するということで市長以下、職員らが集まり出発式。正副議長や常任委員長として参加。水道局の給水車やパッカー車、救援物資を積んだトラック、そして衛生防疫業務対応者、建物の応急危険度判定士や学校カウンセラーなど職員を乗せた貸し切りバスが重々しい雰囲気の中、出発。

 10時から2月市会定例会の会期末の本会議があわただしく始まる。被災者に対する見舞い、また弔意を表明して黙祷。市長の震災に対する発言があった後、一般会計予算や公営企業予算について委員長報告の後、共産党が反対するのもあったが、各会派の討論を経て賛成多数で粛々と可決される。

 昼休みの後、トップバッターで「くらし環境委員会」委員長としてぼくが委員長報告。埋蔵文化財研究所に関して付帯決議をつけて、その他、いきいき市民活動センターなど施設の指定管理者の選定の議案を可決。その他の議案も淡々と可決され、意見書は公共交通機関のバリアフリー化の更なる推進を求める意見書などを可決。

 そして勇退する、自民党の田中セツ子議員、加地議員、共産党の妹尾議員、公明党の柴田副議長、木村議員が壇上に並び田中セツ子議員が代表してご挨拶。ご苦労さまでした。鴨沂高校の一年後輩で、4年前には正副議長としてコンビを組み、長年わが左京区で切磋琢磨してきた巻野渡議員がこの1月末に倒れて引退されることになった。ご子息が出馬を表明されているが、さぞ無念なことであろう。ご快復を祈念します。
 国会では解散になったら本会議場で万歳するらしいが、淡々と散会。2時を回っていた。市長らが、ぜひ全員選挙に勝利してほしいと議員団室に挨拶に。

 その後、四条河原町に。京都市会として東北太平洋沖大地震の被災者に対しての義援金を募る活動。1時間ほどで62万円集まった。夜、静岡は富士宮市周辺で地震の速報。いったい日本列島はどうなっているのだろう。


◎3月14日(月)

 朝9時過ぎ卒園式で吉田幼稚園に。第四錦林小学校中島校長先生に続いて法人の評議員なので可愛いい子どもたちの前で冒頭に地震の犠牲者に弔意を述べて、吉田山の桜のエピソードを交えてご挨拶。
 
 11時過ぎに遅れて議員団に。明日の会期末を控えて他会派から提出された意見書や付帯決議を巡って協議。自民党は、考古資料館の指定管理者に選定された埋蔵文化財研究所のあり方について色々と議論をしていたようだ。議員の報酬を10パーセント削減することも決め、また東北地震の義援金として各議員が分担して100万円を京都市会として送ることに。

 色々と各会派の予算や他の議案について意見がまとまり、各常任委員会の討論結了の委員会が開催されたのは午後4時半。今期最後の「くらし環境委員会」。委員長として各会派の議案への態度を淡々と聞く役。そして今期で勇退される田中セツ子委員と妹尾直樹議員に労いの言葉をかけて締めくくる。その後、自民党から提案された埋蔵文化財研究所のあり方についての付帯決議について意見調整。全会派賛成することに。委員長報告の文書を確認して散会。無事に委員長としての任務をまっとうできたかな。その後普通予算特別委員会も討論結了。共産党は予算案など反対。

 議員会の最中、テレビでは福島原発の爆発の模様が映し出される。大変な事態にならなかったらいいのだが。アメリカのスルーマイルの原発事故が起きたのが確か1979年3月。ぼくが初めて選挙に出た春。敦賀原発が放射能漏れの事故を起こしたのが、1981年春。ぼくは当時月刊地域闘争の編集委員をしていて取材に行ったこともあった。
 そしてチェルノブイリの原発事故が1986年4月。初当選する1年前。議員になって、本会議で放射能汚染食品のことや原発事故対策や核燃料輸送についても質疑をしたことを思い出していたが、福島原発は、未曾有の危機に直面しているのではないか。


◎3月13日(日)

 関東在住の小・中・高校時代からの友人加藤啓からのメール。「神田におりまして、入店していた喫茶店の壁、看板が崩落する中、命からがら取引先の社屋に逃げ込みました。最終的に息子の勤務する都内で待機し何とか再開した交通機関と徒歩で8時間くらいかかりましたが帰宅しました。私の住まい自身は免震マンションなので被害はないのですが、断水と停電がこれから断続的におこるという広報がなされています。今テレビでは、津波と原発爆発という最悪の事態を報じています。私も今後まず自らの身を守りそれから微力ながらできることを模索し実践いたします。では、皆さまご自愛ください。お見舞いメールいただいた皆さまありがとうございました」。
 福島原発が大きな事故を起こしているとの報道に不安がよぎる。

 選挙前の日曜日、予定では、宣伝カーで走り回るところだが、自粛することに。
 夜は、選対会議。大地震と津波のことで、当分の間、街頭行動等を中止することを確認。95年1月の阪神大震災のときも3期目の挑戦をするべく選挙前だった。地震後1週間ほどして友人と救援物資を西宮まで運んだことを思い出す。


◎3月12日(土)

 朝方までテレビで地震と津波の報道を見る。惨状に言葉がない。

 昼、メールで鴨沂高校19期会のメンバーを中心に関東在住の友人らに「ご無事を祈っています」とメールを打つ。

 午後、前原衆議院議員が大臣辞任以降、帰京する予定になっていて2区総支部の常任幹事会を予定していたが急遽キャンセル。

 また夕方、大原で市政懇談会を予定していたが、わが選対で協議した結果これも中止。電話などでお知らせするも、開会予定の7時には大原公民館に待機。それでも7、8人の人が来られて地震・津波被害のことなど暫し懇談。大地震で三陸海岸は壊滅状態。気仙沼市で大火災の映像。死者、不明者の数は計り知れない。甚大な被害に慄く。


前原大臣辞任、東北で大地震 3月5日ー11日
◎3月11日(金)

 朝6時半に起床。寒い。高野川の寒風に吹かれながら花園橋で街頭行動。上高野の友人らもビラ撒きなどの応援に。感謝。

 10時から議員会。選挙前なので議員会も2日間の日程しかない。早速、予算など議案について各委員会の審議状況が報告されて、問題点など点検。また意見書については、議員団として提出しないことに。さらに理事から費用弁償の廃止や議員報酬の削減のことで他会派の動向が報告される。また共産、公明から提出された意見書について検討。また国民健康保険特別会計のことで理事者から改めて説明を受ける。

 そんなことで色々と議論していたら、午後2時45分頃、「お!地震や」という声。蛍光灯が揺れている。直ぐにテレビをつける。宮城県沖のでかなりの強い地震のようだ。3時には津波が来るという警報。暫くしてテレビ画面では港に津波が押し寄せてくる映像が映る。議員団室は騒然。船が漂い、トラックが津波に流され、畑を進んでいく津波に恐怖。なんということだ!

 されど連合京都の春季生活闘争勝利・統一地方選挙勝利総決起集会で円山野外音楽堂へ。デモは中止。最後に連合推薦の民主党の府市会議員候補が全員壇上に並びガンバロー!
 帰ってテレビでニュースを見守る。惨状に言葉もない。福島原発が心配。


◎3月10日(木)

 朝、左京消防署から連絡、銀閣寺新事務所の火災警報装置のベルが未明に鳴って、出動したとのこと。原因が分からず。

 10時から、普通予算特別委員会。市長と3人の副市長を挟んで委員が全員そろう。23年度予算や様々な施策について各委員が質疑に立つ。

 昼休み時、銀閣寺の事務所に戻って左京消防署の担当者と火災警報装置が鳴ったことについての原因究明や対策などについて協議。

 委員会に直ぐ戻って、ぼくは午後3時前、12番目に質疑。犯罪被害者支援条例、新左京総合庁舎開所と跡地活用、岡崎地域活性化プロジェクト、そして同和行政終結後のあり方と「いきいき市民活動センター」について20分間の質疑。合計22人の委員が質疑に立って委員会が終わったのは、午後6時半。


◎3月9日(水)

 午前中、川端署に宣伝カーの道路使用許可の申請に、また相談ごと一件。

 昼、選挙のときに使う選挙車の看板の設置についてデザイナーや看板屋、音響屋の友人らにきてもらって打ち合わせ。
 午後は、推薦はがきを持って労組への配布。
 
 夕方、大原へ。土曜日に市政懇談会を開催するので自治連の関係者に会って、猿、鹿、猪の被害のこと、子育てサロンの設置のこと、森づくりのことなど大原の課題についてお話を聞く。

 夜、前原外務大臣辞任ということで、わが陣営の緊急の選挙対策会議。この間の経過とこの春のわが市会議員選挙への影響など議論。推薦はがきには、外務大臣と書いているので、どのように削除するのか、消しゴムか修正ペンか黒マジックで消すか、事務的なことも選挙への影響などあるが、まずは正々堂々とわが選挙戦全力で戦うのみ。深夜、明日の市長総括の質問メモづくり。


◎3月8日(火)

 中野洋一議員、在日外国人から献金を受けていたということで取材攻勢。

 10時から、今期最後のくらし環境委員会、環境政策局からは、まち美化事務所の再編や焼却灰溶融炉のレンガ亀裂のことなど報告案件。文化市民局からは「はばたけ未来へ!ユースアクションプラン第3次京都市青少年育成計画」、「スポーツの絆が生きるまち推進プランー市民スポーツ振興計画」、「京都市地域コミュニティ活性化検討委員会の提言」、京都会館再整備に関する市民意見の募集、旧右京区総合庁舎解体撤去工事などについての報告。それぞれに各委員が質疑。
 青少年活動センターの設置と選択的夫婦別姓制度法制化の要請の請願は審議未了に。またいきいき市民活動センターや埋蔵文化財研究所の指定管理者の選定など付託された議案についても質疑があった。

 夕方、国際交流会館での岡崎地域活性化ビジョン検討委員会を傍聴。パブリックコメントの結果報告と各委員が意見交換。多くの夢のあるコメントが寄せられているが、グランドについては既得権を主張する声もあるのだね。
 途中で退席して、埋蔵文化財研究所、京都音楽家労組、ユース協会、関西セミナーハウス、向日市競輪など自治労京都府本部傘下の労組の意見交流会に。色々と苦労話を聞く。


◎3月7日(月)

 新聞には、前原外務大臣辞任のニュース。気が滅入る。朝の街頭演説に出る気力もない。なんともいいようのない気分。

 午後は、事務所で雑務するも気持ちが落ち着かず。どう対応すべきか。

 夕方、京阪丸太町駅のクラブメトロに。
 ジャズライブ「NAKAO MASAMI With My Dear Masaho」。ボーカルの中尾まさみちゃんは東山二条公団住宅の東隣にある、たこ焼「親指小指」の看板娘。チョーヤの梅酒のCMソングを歌い、ジャズシンガーを目指している。トロンボーン奏者のToomyさんも友情出演。ぼくもサブカルチャーやキューバや駱駝館の若かりし頃のことなどトーク。クラブメトロのスタッフのみなさんや関係者のみなさん、ありがとう。ええコンサートでした。


◎3月6日(日)
 朝、6時前起床。大原の朝市へ。わがスタッフが車に便乗して大原の朝市へ。地元の関係者らと懇談、猪鍋など堪能。

 10時過ぎから、養正学区、川東学区の防災訓練を激励に回る。

 午後1時から民主党京都府連の統一自治体選挙対策委員会。上京区の太田君が出馬辞退とのこと。賢明な判断だろう。続いて常任幹事会。諸般の報告など。

 午後3時過ぎ、高野川ライオンズクラブ杯左京小学生バレーボール大会の会場に。6年生の決勝戦は錦林小学校と松ヶ崎スポーツ少年団。松ヶ崎が優勝。閉会式では主催者として、ぼくが総評を述べさせてもらう。今年はノートルダム学院の初参加もあり、17団体40チーム、400人の児童が参加。今年も素晴らしい大会だった。

 夕方、わが事務所の選挙対策会議。そのとき、前原外務大臣が辞任を表明するとの連絡。頭を抱える。彼の胸中いかがなものか。ショックや。潔しとするか、言葉がない。新聞社やテレビ局から取材の電話。


◎3月5日(土)
 
 朝刊では前原大臣の外国籍女性からの献金問題のこと。

 朝、宝ヶ池の子ども体育館に。第14回京都高野川ライオンズクラブ杯左京小学生バレーボール大会の開会式。メンバーらに挨拶だけして銀閣寺前の新事務所に。

 春本番!の事務所開き。
 11時前には続々とわが応援団が駆けつけてくれる。連合京都の西村英二事務局長や松井孝治参議院議員が檄文をもって来ていただき、京都府生活衛生営業指導センター理事長の山岡景一郎さんや前原誠司左京後援会会長の村中平治さん、寺田バレエアートスクールの高尾美智子さんにも激励の挨拶をいただく。地元の人たちや友人らまた前原後援会のメンバーら150人ほどの参加者。

 そしてぼくが決意表明。24年前、初当選したときの事務所が向かいのラーメン屋だったことから始まって、4年前の悔しさを胸にこの4年、とりわけこの1年間、みんなに支えられて市政懇談会を実施し、頑張ってこれたことに感謝して、厳しい逆風下だが、必ず勝ち残るために全力で闘うことを決意表明。がんばろう!を三唱して、いよいよ選挙に向けての城ができた。がんばるぞ!

 午後は、自分の声で吹き込んだ宣伝カーで大原へ。来週の土曜日に市政懇談会を開催する広報と所々で辻立ち。


予算委員会で質疑 3月2日ー4日
◎3月4日(金)

 朝起きたら春の淡雪、雪化粧。
 朝、川端署の前を通ると京大入試で携帯電話で問題を流した予備校生が昨夜移送されて取り調べされるということで中継車が止まっている。えらい騒ぎや。

 普通予算特別委員会2日目。市会事務局とは、この春に勇退する加地浩議員が、自身の経験を踏まえて委員会の質疑のあり方につて問題提起。そういえば昔は、喫煙もできたし、分科会方式でもなく制限時間もなかった時代があったのだ。

 総合企画局では、姉妹都市交流、国際交流、留学生、大学コンソーシアム、小学校跡地、京都創生、情報化、古典の日などについて議論があった。

 ぼくは、最後の質疑者として、岡崎地域活性化のことで、共産党が「岡崎グランドをつぶす計画、世界的な有名なホテルなど商業施設誘致の動き」という、事実無根、デマのビラを撒いていることを厳しく指摘、またグランドや宿泊施設、賑わいのある文化ゾーンとして今後の岡崎地域のあり方についてぼくの思いを言う。

 また、左京区役所の跡地の活用問題で、京都大学と地元吉田の関係などを述べて、ぜひ京都大学の施設として活用され地域住民も利用できる施設となるよう要望、また事業仕分けをした御池シンボルロードの噴水などの維持管理についても足早に議論。最後に今年定年退職される理事者に挙手してもらったところ明石企画監だけだったので、ひとこと述べてもらい労をねぎらう。

 産業観光局とは、観光振興、なら枯れ対策、中小企業対策や伝統産業、ふれあい館、
雇用対策、木質ペレットストーブ、知恵産業融合センター推進事業など質疑があった。終わったのは6時30分を過ぎていた。京都新聞の記者から選挙への取り組みについて取材を受ける。今度は必勝体制だ!


◎3月3日(木)

 普通予算特別委員会第2分科会の二日目。選挙管理委員会、人事委員会、監査委員会、会計室が説明、簡単な質疑があった後、11時過ぎから行財政局との質疑。
 ぼくはトップバターとして、予算編成の苦心したところ、臨時財政対策債、地方交付税など政府の地方財政計画についての考え、この4月から課税される入湯税について、宿泊客150円、一日客100円。利用者への説明の必要性について、また財政改革有識者会議からの提言について今後の取り組み、課税自主権と森林環境税について、またくらし環境委員会で、職員同士の喧嘩まで報告があり審議したが、夫婦喧嘩は犬も食わない、としてええ加減にしてほしいよ!と述べて、これからの一層信頼される市役所づくりと、人材活性化について質疑した後、市役所庁内全面禁煙について、喫煙者としてひとこと。
 各委員から行財政改革を中心に、税収の見通し、臨時財政対策債、地方交付税や市役所の整備、歴史資料館、市政改革、事務事業評価など、多岐にわたる質疑が行われた。
夕方6時までみっちり審議。


◎3月2日(水)

 予算審議の委員会が始まる。ぼくは普通予算特別委員会第二分科会の委員。

 環境政策局からは歳入歳出の説明の後、各会派、自民、共産、民主、公明の順で質疑。太陽光発電、有料指定ごみ袋の財源のあり方、ごみ減量や地球温暖化対策の諸事業についての質疑があった。
 選挙日程を控えて一日2局との質疑で、午後3時前頃から文化市民局。
 ぼくも質疑に立つ。京都市犯罪被害者等支援条例の制定を巡って、過日、京都犯罪被害者支援センターが主催したシンポジウムに参加したことや、カミさんがボランティアとして相談員をしていることにふれて、条例制定の意義や被害者への相談、生活支援、他の行政機関や大学との連携など、京都市として具体的な取組みを進めることをやりとり。
 またかつては同和行政として各地区に設置されていた隣保館が、コミュニティセンターと名前を変え、また4月からは「いきいき市民活動センター」 として指定管理者が運営していくことになるが、単なる貸館事業だけではなくて、地域や各市民団体による活動への配慮が必要なことを質疑。また「事業仕分け」で議論となった「暮らしの工房づくり」については市民参加のあり方、場所の確保と育成について質疑。

 各委員からは、京都マラソン、動物園、芸術センター、猿対策、国民文化祭、京都会館再整備、埋蔵文化研究所などについて質問あり、終わったのは6時を回っていた。  その後、「事務所開き」の案内を持って地元を回る。


2月市会の本会議 2月28日・3月1日
◎3月1日(火)

 今日から弥生3月。本会議の二日目。わが民主の小林あきろう、藤川剛、天方浩之議員が登壇。小林団長は、予算編成にわが議員団の要望が盛り込まれたことや事業仕分けのことなど総論を述べて、お得意の文化論などウンチクを傾け、藤川議員は、竹田駅に保育所設置の提案やコンビニの弁当の見切り販売などユニークなテーマも。天方議員は、地元洛西ニュータウンの高齢化対策や地域のニュースを示しながらの質問や教育のことを質問。
 そして公明党は、日置、井上、湯浅議員が質問して終わったのが3時過ぎ。
 予算案など特別委員会に付託する動議があり、22年度の補正予算について、普通、公営企業のそれぞれ委員長報告があり、共産党が反対した議案については起立表決して淡々と可決した。

 夕方は本会議の代表質問者の慰労と選挙に向けてがんばろうと気合あわせで、とある中華料理店で恒例の議員団の夕食会。
 夜は、二次会に行くこともなく、明日の予算委員会で質疑をするべく、資料を再読して、メモ作り。





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